「妻問石」「口あけ石」と呼ばれる話です。 昔、寺泊地方を野積といいました。そのころ、この付近に海賊が出没して漁師を殺害し、船や金品を強奪していました。人々はこれを恐れて、当時、大和から越後に派遣されていた彌彦の神に訴えました。彌彦の神は、さっそく海賊を征伐し、奪われた品々を陸揚げして村の人たちに返しました。その品が海岸に山のように積まれたので、野積(のづみ)と名付けられたのだそうです。 彌彦の神は大和を出るとき、美しい妃を残してきました。女は足手まといになるという理由からです。しかし、一人残された妃は夫に会いたくて、ある日大和を出て越後に向かい、野積の近くまで来ました。これを人づてに聞いた彌彦の神は、もうしばらくすれば越後の平定が終わるのに、今妻に来られては大変だ、と黙って山の中に隠れることにしました。 ところが、山へ登る途中で、一人のキコリに会いました。神は、どうせ妻は自分の後を追ってくるに違いないが、その時、キコリに自分のことを話されては困ると思い、 「私をたずねてくる女がいるだろうが、絶対に話してくれるな。もしも、約束を破ると、おまえを石にしてしまうぞ。」 と言い渡して、山に登りました。 妃がキコリに会ったのは、それから2・3日後でした。案の定、妃は神の行方をたずねました。キコリは神の言葉を思い、話すのをためらっていましたが、目の前で哀願している妃の姿をみて、気の毒になり、つい行き先まで話してしまいました。 すると、妃の見ている前で、キコリはたちまち石になってしまいました。驚いた妃は石にとりすがってわびましたが、石は秋のにぶい陽を浴びて転がっているばかりでした。妃は自分の仕打ちを悔い、恋しい夫に会うのをあきらめて、そこに草庵を建て、一生、石になったキコリの霊を慰めて暮らしました。 この石は、今も妻戸神社の一隅に置かれているといいます。
|