歴史資料(昭和61年3月10日指定)
ほうきょういんだらにとう
宝篋印陀羅尼塔 一基  大字麓猿ケ馬場峠 小林ミヱ

 本来は宝篋印陀羅尼経を納める塔であるが、中国から我国に渡り、日本では平安末期から作られ、鎌倉中期から墓碑や供養塔として建てられるようになった。ほとんどが石造りである。
 この宝篋印塔は、明和8年(1771)の建立で、高さは基壇から368cm、地上高483cmと大きく、塔身を須弥の形につくり、上部四隅にインド風耳形突起を立て、その中央に数層の段を設けて相輪を安んじた風格ある姿はバランスがとれてみごとである。
 塔身にある刻字は風化が進み判読は困難であるが、寺泊港の本間弥平次はか2人が先祖百歳忌・父母五十回菩提などのために建てたことが刻んであり、建立後230年余を経て当時の姿をとどめている。



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