弥彦の昔話
【聖人清水】
浄土真宗の開山親鸞聖人は承元の乱に都を追われ、承元元年(1207)、35歳の時、越後の国府(現・上越市五智)に配流の身となりました。越後国在住中に彌彦神社を参拝し、その時宿泊したのが当時の庄屋林部四郎左衛門宅でした。
一帯は昔から堅い岩盤で、水不足に悩まされていました。ある日、近くの川から水を汲み上げて運んでくる老女を哀れみ、林部宅の裏の竹林の一隅を持参の杖で突いて仏に念じたところ、たちまち水がコンコンと湧き出したと伝えられています。
人々はこの聖人の徳を喜び、以後、今日に至るまで「聖人清水」と呼ぶようになりました。
親鸞聖人が彌彦神社参拝の折に詠まれた和歌一首が次のとおり語り伝えられています。
願はくは 都の空に 墨染の 神吹き返せ 椎の下風
親鸞聖人が林部家に滞在した際、使ったといわれる「鍋」が、いつのころからか、大字麓の分家林部名兵衛家に渡り、その後、麓の廣福寺(こうふくじ)(浄土真宗仏光寺派)に納められました。
聖人は越後国に7年間滞在しましたが、各地に伝説が残されています(親鸞聖人の越後7不思議伝説)。その後、聖人は常陸国(現・茨城県)に移られました。
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